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村上春樹です。六壱朗さん。
本年度のノーベル賞候補に挙がっていた村上春樹氏は猫と関わりの深い小説家です。
作品にはたびたび猫が登場し、翻訳家としてもアーシェラ・ル・グウィンの「空飛び猫」シリーズ三部作の翻訳を手がけておられました。小説家デビュー前に経営していた喫茶店の名前も飼っていた猫にちなんで「ピーターキャット」。以来、現在に至るまでずーっと猫と暮らしておられます。エッセイ「村上朝日堂」シリーズでは、しばしば猫たちとの生活について、のんきな筆調で綴られているのを楽しむことが出来ます。
氏の小説の主人公は殆どおしなべて人付き合いが希薄であり、どちらかといえば自らの生活ペースと規範に則って行動するという性格。その周囲の目を気にしない徹底したマイペースぶりは、なんとなく猫のそれを思わせます。

氏の小説で、印象に残っている猫の場面が幾つかあります。
まずは「羊をめぐる冒険」で、いわしという名の目脂のたまりやすい老猫がおならをする場面。猫もおならするのか、とこれを読んで知りました。うちの六壱朗さんがしたのはまだ聴いたことありません。
次に「ねじまき鳥クロニクル」において行方不明だった猫が帰ってくるエピソード。主人公夫婦の旅は、行方不明になった猫を探しにいくことに導かれ、猫がひょっこり帰ってくることで一度帰結します。重厚で、迷宮的で、静かなる混乱と陰惨さを持ったこの不思議な物語の中で、猫だけが飄々と自由であり、主人公の妻は最後にこの猫のことを「私たちの間で生まれたよいしるし」と手紙に書きました。混濁した物語の中の、ひとつの着地点でした。。
最後に、「1973年のピンボール」において、物語の善き父性、中国人バーテンのジェイが自分の飼っている猫が理由もなく手を潰された、と副主人公の鼠に語るシーン。なぜ猫の手なんか潰さなくちゃいけないんだ?とジェイは言います。

氏の小説は、理由もなく猫の手が潰されるという理不尽な陰惨さと、猫が日向の中で主人公たちの膝に乗ったりおならをしたりする和やかさの狭間を振り子状に巡りながら、深く深く潜りその奥行きを探求する構造に思えます。多分、われわれの世界もまたその狭間にあるのでしょう。
ですが、物語の中の猫たちも、六壱朗さんも、たいていの場合、そんなの関係ないよと言わんばかりに、ぽかぽかとした陽だまりの中で眠っています。それでいい。それがいい。と、僕は思います。
ねえ、六壱朗さん。

---ふむー。

ふむ壱朗さん?


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